在宅介護を嫌々ながらやっていますが、日々の事について書いてみます。

嫌だけど在宅介護しています。
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突然介護生活がやってくる

私の家は、元々少しですが裕福な方だったと思います。
特にお金に関しては困ったような事もありませんでした。
ただし、私の人生は苦難の連続でした。
いつも災難が降りかかってくることが多かったです。
小学校・中学校・高校では私を虐める生徒もいましたし、どちらかと言えば馬鹿にされていた方です。最低な学生時代だったのですが、就職先もブラック企業で1カ月に無料残業が100時間を超える事は当たり前でした。
しかし、家の方は裕福で不自由なく暮らしていました。
私は会社の人から馬鹿にされていて「ぼっちゃん」とか、そういう風に呼ばれていました。
しかし、会社という物が嫌になり、そして、他の道を模索するようにしました。
そうした転換期の時期に突然、父親に癌が見つかります。
食道がんだったのですが、手術は成功しました。しかし、再発してしまい結局、2年後位に亡くなっています。
ここで、私は人生の選択肢が狭まります。今考えると、この時期であれば私は会社をやめてしまい。親のすねをかじり、起業を目指すと言う事も十分に可能だったわけです。
しかし、実際にはそういう事が出来ずに、母親と二人暮らしになりました。
母親と二人暮らしになってからは、家の収入はがた落ちしました。
そして、自分の中で会社は辞める事が出来ないような状態にもなりました。
しかし、当時の会社の事情もあり私は会社を辞めたんです。そして、1年間独立して頑張ったのですが、結果は出ませんでした。
母親からはお前は最稲生が無いとか言われた事もあります。
その時なのですが、母親が突然、脳出血で倒れてしまったわけです。
手術は成功したのですが、半身不随になってしまい左側が動かなくなってしまいました。
それで、半年間の入院の末に私は在宅介護の生活に突入したわけです。しかし、今、考えてみると、ここでの介護の生活はかなり酷かったです。

母親の在宅介護が始まる。

母親の在宅介護が始まったのですが、姉は既に北海道に引っ越しているため、ほぼ私一人でやらなければいけませんでした。
さらに、要介護認定が2に決められてしまったために、ほとんど休みを取る事も出来ませんでした。1カ月のうちに母親が毎日のように家にいるために、休みもゼロだったわけです。
何とか、デイサービスに月、水、土だけ行ってくれたので、そこだけは何とか休みだったわけですが、それ以外は、全て介護しながら自分の仕事をしていました。
小学校、中学校、高校、社会人になっても友達と言えるような人もいないために、周りの人の励ましなども皆無でした。
周りの人からみれば「あいつは、もう終わった」とか「ざまあみろ」とかそういう対象だったと思います。中には、同情的な人もいたかも知れませんが、基本的には在宅介護に苦しむ私を見て、終わったと思った人が多かったようです。
しかし、在宅介護が始まってみると、様々な問題が起きるわけです。

介護と料理の問題

介護と料理の問題が最初の問題でした。私は料理がほぼ出来ません。
しかし、母親は私に対してそれが許せなかったようで、私に料理を覚えさせると息巻いていました。そして、親戚の前で、私の自分が満足する料理を作るように要求したのです。
その時の母親が言った事は今でも覚えています。
「私が母親の料理に唐揚げばかりを買ってくる」と言うのです。
ちなみに、私は母親に対して、唐揚げを買ってきた事が一度もありません。それにも、関わらず母親は親戚の前で、唐揚げばかりを買ってくると私に息巻くのです。そして、自分の言うとおりにさせるために、親戚を巻き込み、私が料理を作ることに無理やり決めさせたわけです。
さらに、「徹底的に料理を覚えさせる」とか私を脅迫してきました。
在宅介護を初めて1カ月もたたないうちにそのような状態になっていったわけです。私は完全に無気力になりました。
さらに、追い打ちをかけるように母親は「仕事を辞めてでも料理を徹底的に覚えさせる」とまで言ったのです。この事を親戚に話したところ、親戚の方は「仕事は辞めてはだめだ」と言いました。
その言葉を聞いた途端に、母親は言葉を変えて「私は仕事をやめて料理を覚えるなんて言った覚えはない」と修正してきたわけです。こうなってくると、私の方は疑心暗鬼になりますし、さらに、在宅介護と言うのは、終わりが見えないので、人生が終わったようにも思えてくるわけです。
同じ出来ないにしても、子供であれば、これから成長が期待できるので、まだ、楽だと思います。しかし、介護ではそうは行きませんよね。
これが20年と続く可能性もありますし、下手をすれば一生が終わってしまう可能性もあるのです。つまり、ここで介護生活で終わった場合は、私は学生、社会人、介護の全て他の人に利用されるだけ利用をされて、人生が終わる事になってしまうわけです。
そうなるのは、嫌なんですけど、在宅介護をしている限り先が見えないですし、人生が終わってしまったかのように関してしまうわけです。
これを考えてしまうと、涙が出て来たり発狂してしまうわけです。
真夜中に一人で「わ〜」と狂ったように叫んだ事も多数あります。
その後、姉が助けてくれて、料理は作らなくていい事になりました。しかし、この時の対立が後にまであとを引くことになります。
というのは、母親は姉の言う事は聞けるが、私のいう事は全く聞けない状態なのです。
つまり、姉と同じことを言っても、姉の方の意見は通るけど、私の方の意見は通らずに私に対して攻撃を加えてくるわけです。
そうなってくると、私も耐える事が出来ませんでした。そして、母親の事がどんどん嫌いになっていきますし、母親に対して憎悪の感情まで抱いて来たのです。
つまり、母親としては私を自分の言いなりにして、自分がよければすべてよし!という感じだったのでしょう。

ちょっとした成功を手に入れる

母親の事は、どんどん嫌になっていきましたが、仕事だけはコツコツと続けました。
その後、介護認定も3になり使えるお金が増えた事で大幅に楽になって行きました。
そして、仕事の方も月収100万円を超える事が無事に出来たのです。
在宅介護2年目で月収100万円を突破すると言う事が出来ました。
100万円を突破すると、ちょっとした幸福感を得る事が出来ます。
しかし、母親の方としては、余り嬉しくなかったのかも知れません。後に「稼いでいるようだけど、私の方には全然くれない」と文句を言ってきたほどです。
母親の気持ちも分からないではありませんが、私はやる義理はないと思っていました。母親が私の事を考えてくれるような思いやりのある人であれば別ですが、自分の事を優先させる事に血眼になっているような人だったので私はお金を与えたいとは思いませんでした。
あと、お金を与えたとしても姉と旅行に行くとか、私の金を使って遊ぶ事しか考えていない事は明白だったわけです。
そういう意味で母親にはお金を与えませんでした。
しかし、お金があったとしても私が在宅介護をしている事実は変わりません。そうした意味で苦しみは続きました。

在宅介護で苦しむ理由

在宅介護で苦しむ理由ですが、やっぱり、多くの場合で一人に押し付けられる事が多いからです。
実際に、親の考え方としても、子供が見るのが当たり前と考えている場合も多いと言えます。さらに、私の場合は親戚などがいましたが、介護をしているのが自分一人だった実情があります。
そうした、事実も考えてしまうとやっぱり、「自分だけがなんでこんな目に合わなければいけないんだ・・・。」となってしまうんです。
自分の周りの人で、同性代の人が同じように、在宅介護をしていれば、こういう風には思わなかったかも知れません。
しかし、私の場合は、地元にいても、外の人とは遮断したような生活でしたし、同級生でも私以外で介護をしている情報は聞いた事がありません。
そういう意味でも介護の辛さがあったんだと思います。
あと、親戚の人は親が倒れた場合は施設に入れたりしていましたし、これから倒れる可能性のある人も親の方から施設に入ると言っていました。
もちろん、いざ入るとなったら変わる可能性がありますが、やはり、自分だけが介護生活をしている事実はありました。
これが在宅介護で苦しむ理由になるのでしょう。
このサイトでは、私がどのように在宅介護で苦しんできたのかを事細かに書いてみたいと思います。

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